自分旅行社 気まま添乗員のひとりごと。

元気になりたい自分探しの旅。

思い出の旅:グアム島に行きたいな。

コロナがおさまったら、

一番に行きたいところは、どこですか?

気まま添乗員は迷わず答えます。

今は亡き祖父と父との思い出の地、グアム島です。

今回は、海外初心者の頃の話ですので、読みたいところから

ゆったり読んで下さいね。

 

1.初めての外国旅行、準備から機内まで。

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遠浅の珊瑚の島がお気に入り

時代はまだ昭和、初めての海外は小学4年でした。

サムソナイトというブランドのスーツケースに、

あらゆる夏服を詰め込んで、

まだ肌寒い3月の春休みに出国すると聞かされました。

 

親はすでにヨーロッパ、ミクロネシア渡航歴があり、

淡々と、

「ところでお前、自分の名前、

ローマ字で書けるか」

 

何回も書き練習しました(笑)

 

今、パスポートって、

漢字で自署するの自由ですよね。

 

小学生の私のまわりって、

まだ情報のない時代で、自動車電話が最先端でして。

テレビで見ているのが、

兼高かおる世界の旅」……

世界といっても別世界の取材番組でした。

 

パスポートに入国許可のビザが必要な時代です。

 

旅行代理店に手数料支払ってパスポート申請してもらうと、

数万円かかるので、

親は私たち姉妹を連れて、

県庁のパスポート申請係へ、写真屋へ、

当時神戸にあったアメリカ領事館へ。

ビザもパスポートも、

自分たちで申請してしまうのでした。

 

現代、私もそれにならって、

子供のカナダホームステイに必要なパスポートや、

TA入国申請の手続きは、

自分たちで申請してしまいます。

 

当時は伊丹空港名古屋空港か、

あるいは、大阪から一度成田へ移動して、

成田空港からグアムの空港まで飛行機で移動するコースでした。

 

キャセイパシフィック航空の、

少し狭い飛行機の旅。

金髪碧眼のアテンダント

(当時の単語はスチュワーデス)、

細くて、きれいで、

機内でファッションショーのモデルまで

していらっしゃったのが印象的。

 

その時覚えたというか、

必要に迫られて発した、

私の初めての単語。

ウォーター、プリーズ。

 

気まま添乗員の英語学習の原点です。

 

2.初めてのタモン・ビーチ

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スコールの降った後に

グアム国際空港、

ついたとたんに熱帯の湿度。

英語を知らない小学生の私たち姉妹に、

入国管理の大柄な審査官のおじさんは、

優しく話しかけてくれたけど、

う~ん、

 

何言ってたか記憶がないのです。

ごめんなさい。

 

飛行機は所要3時間でたいてい夜に着陸のため、

すぐにタクシー移動でホテルにチェックインします。

朝、ホテルの窓から外を見て、

世界にはこんな風景があるんだと、

感動が待っているのです。

 

小学生が生まれて初めて、

南国の珊瑚の海を見た時の感動です。

 

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波の音もステキ

ホテルの朝はスクランブルエッグ、

ソーセージと焼き立てのパン、コーヒー。

あ、小学生はフルーツジュース。

 

ヒマさえあればホテルのプールと、

すぐ目の前の遠浅のビーチとを、

 

浮き輪片手に往復していました。

 

当時グアムは、

ホントに日本人観光客が少ない時代で、

 

どこを見ても外国人ばかりでしたよ。

日本人の子供は可愛がってくれました。

(言葉は分からなかったけど)

 

現地の言葉で、

「スコール」という

(ニューヨーカーやイギリスの方達には知らない人もいる)

にわか雨が降ると、ギラギラの太陽も

蒸し暑さも消えて、急激に寒くなるのです。

外国人の子供たちと海辺で遊んでいた時、

スコールが降ってきて、

その子たちのお母さんたちが、

冷えないようにバスタオルでくるんでくれたのを、

覚えています。

 

「ありがとう」のほかにも、

たくさん話したいことがあったのだけれど、

うまく伝えられなくて、

 

英語を話せたらもっと仲良くなれたかな。

 

あの時のハガユイ、クヤシイ、

それが英語に興味を持った最初の一歩です。

3.半日かけて島内観光

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恋人岬

レンタカーで、父が島巡りをしてくれたのですが、

当時は今のように道路標識が無くて、

恋人岬に向かっているつもりが、

アメリカ軍の基地に向かう道に迷い込み、

 

強面の黒サングラスのアメリカ兵に呼び止められたことも。

面白いハプニングです。

 

レンタカーは楽しかったです。

英語の弾丸トークがFMラジオで流れて、

ヒット曲の洋楽が次々に聞こえて、

サンゴ礁の海岸沿いを車窓越しに眺めて、

見慣れない外国を走っている感じ、

帰国してからも夢に見ましたよ。

 

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可愛い家、広い道

この島には昔のスペイン統治時代の建造物があります。

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スペイン小橋といわれます

この太平洋の小さい島まで、

スペインから船で探検しに来た人たち、

大変だったでしょうねえ。

食料とか、持ちこたえられたのかな。

 

そうそう、ムー大陸の名残ではないかという遺跡があります。

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ラッテストーン公園

誰が、いつ、何の目的で。

永遠に謎でしょうか。

 

近辺の島にも、地下都市とか、

海底に神殿とか、

あるらしいですよ。

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タロフォフォの滝

グアムには、

ジャングルをジープで探検できるツアーがあります。

フルーツしか食べないというコウモリ、

ジャングルに生息するヤシガニ

いずれも現地では珍味でございます。

 

その後、何回目かのグアム旅行で、

気まま添乗員はフルーツバットのスープを

飲みましたが、

コンソメ風だなあと思っただけで、

最初はそれとは気づかず。

お鍋の底から真っ黒なコウモリを、

どろーんと引き上げて見せてもらった時、

 

「飲んじゃった!どうしよう」

カルチャーショックってやつです(笑)

 

事前に教えてもらってたら、

食わず嫌いをしてたかも。

一度は経験できたので、良しとします。

 

4.地元スーパーにショッピング、レストランで夕食

海外のホテルって、お食事はどうされていますか。

父親がレンタカーを選んだ理由が、

「お昼は地元の食材を食べてみよう」でした。

日本で街中のスーパーや八百屋さん、

魚屋さんが元気だった時代に、

私たちがグアムでショッピングをしたのは、

 

今でいうところの、

郊外型巨大ショッピングモール、というところです。

 

大きな牛の半身が冷凍でどどーんと売られていたり、

牛乳はパックではなく灯油タンクのような、

ガロン単位で売られていたり、

とにかくサイズがでかい。

果物もマンゴー、パパイヤ、パイン、

バナナ、パッションフルーツ、ココナッツ、

売り場を見ていると嬉しくて、

エヘラエヘラ笑いが出てしまいます。

 

缶で売られていた、おいしいフルーツパンチ、

日本では、

輸入品の店にもおいていない銘柄が、

スーパーの安売り商品なんです。

あと、アイスクリームの巨大なサイズの箱売り。

 

店内を歩く地元の人たち、

体のサイズ、大きい人が多いですものね。

よく食べ、よく飲むんでしょうね。

 

その中のステーキハウスで一度、

照り焼きステーキを食べたことがありまして。

 

気まま添乗員は基本は、

脂身と筋の多い肉は好みませんが、

この店のステーキは本当においしかったです。

タレが、手作りだったからかなあ。

小学生の頃の私の、

お気に入りのこの店は、確か、

「シズラー」

英語では、

肉汁がジュウジュウ言うイメージの言葉です。

 

夜は、ホテルのレストランを食べ歩きました。

両親は電話予約を事前にしていましたし、

ドレスコードのある場所は、

男性に特に厳しいので、

父がその時だけ、

半パンから長ズボンに、

ビーチサンダルから靴に、

恰好を変えていくことにしていました。

5.ピアノバーでLove me tender

 

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4回目のグアムは、核家族プラス、祖父母と。

祖父母の金婚式を祝う旅でした。

 

シーフードレストランで、

生まれて初めてロブスターを味わった後、

(伊勢海老と同じ味だったので安心しました)

ホテルのピアノバーに立ち寄り、

大人はトロピカルカクテル、

まだ中学生だった私はノンアルコールのカクテルで、

祖父母の結婚記念日に乾杯しました。

 

両親が思いつきで、

年配のピアニストにチップを支払い、

プレスリーの曲をリクエストしました。

背の高い、

アメリカ人の女性ヴォーカルが来てくれて、

ピアノ越しに歌ってくれた、

「ラブ・ミー・テンダー」

 

声量がすごいのに、優しい声で、

ピアノが流れるように引き立てて。

祖父母の長い結婚生活の歴史をねぎらうような、

ステキな夜でした。

 

15,16歳で、許婚から始まった二人の物語。

祖父母が40代になって、

私が初孫として生まれるのです。

 

暖かな、いい時間を過ごしました。

6.ココス・アイランドとプライベートビーチの話。

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イナラハン天然プール

グアムには、小学校がいくつも点在しています。

レンタカーのドライブ中に見かけた、

天然の海水プールでは、

現地の子供たちが競うように飛び込み、

泳ぎ回っています。

 

人の手で作ったプールではありません。

正真正銘、自然が作った場所なんです。

 

道路沿いにそれを見て、先に進みます。

グアム島の南にある、

もう一回り小さな島、

 

ココス島

 

私たちはこの島を目指して1度、

失敗したことがあります。

 

2回目の旅行の時、

「ココス・アイランドに連れて行くよ」

という地元のボートのおじさん達の、

ランチ付きという話にのり、

送ってもらったのが、

 

ココスの手前の、小さな小屋がある、

砂浜の島。

地元ではプライベートビーチとかいう場所で、

ヤシの木が2,3本生えているだけの、

周囲は数百メートルしかない島。

 

ロケ地としては最高でしょう。

真っ白な砂浜、見渡す限り、サンゴの海。

 

届けられたランチは、

ラップで包まれた、

サラダと白身魚のフライ。

私たち子どもは、

それなりに楽しんで、

色とりどりのヒトデや小魚を捕まえ、

泳ぎ回っておりましたが、

 

うちの両親は、

早々にグアム本島に帰してくれと

この現地のおじさんたちに交渉していたみたいです。

 

無事にグアム島に戻れましたが、

1日費やしてしまって翌日は帰国の日でしたので、

 

3回目の渡航で、

再度、ココス島へ向かう船の乗り場を探し当てました。

あの現地のおじさんたち、

正規の乗り場の手前で、

やはり呼び込みをかけて、

私たちの乗るレンタカーの行く手をふさごうとしました。

 

今度は私たちの親が強かった。

ハッキリ、NOT PRIVATE  BEACHって、

言い切ってましたからね。

 

ちゃんと、ココス島に上陸出来ました。

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ココス・アイランド

ココスは高級リゾート地なので、

飲食物の持ち込みは禁止だそうです。

正規ルートの船の中で、

スタッフさんが教えてくれました。

英語とジェスチャーで。

確かに雰囲気の良いリゾートホテルがありましたね。

 

このプライベートビーチの件は、

大学になって私が海外旅行するとき、

役に立ちました。

海外初心者の友人と、

(彼女は大学卒業後、国税調査官になりました)

ニューヨークに行ったとき。

自由の女神のいる島は、

いくつもクルーズコースがあるのです。

 

中には島のまわりを一周するだけ、とか。

 

ちゃんとリバティー島に上陸できるコースを、

探し当てて乗船できたのは、

この時の記憶のおかげです。

 

旅行って、国内外関係なく、

実際に行って、

失敗して覚える経験が

一番強い味方になります。

そして行くたびに、

思い出が増えていくのは良いことですよね。

 

 

 

思い出語りを最後まで読んで頂き、

ありがとうございました。

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