いつかの怪奇録:第2話。枕の下には数珠を忍ばせて、入院生活(産婦人科)
今回も怖くない話で涼しくなりましょう(笑)
人生でめったにない長期入院、
産婦人科病棟での話です。
最新の救急病院の今の建物からは想像もつかない、
20年前の建物の話なので、もう話してもいいかなあと。
このお話がアップするのは夜中の予定ですが、
いやほんとに怖くないですから(笑)
退院直前に、ニアミスを知らされました。
『え、Kaglaさん知ってたの?
なんでもっと早く話してくれなかったの』
泣きそうな顔で言われてもなあ。
見える人ではない私が、気になるって、
何かの会話でその部屋のことを話しても、
聞き流していたでしょ~
その部屋には、
特別に看護師さんが専属でついているそうです。
戦時中の大きな白帽と、
長い裾の白い看護服の、
顔のない半透明の看護師さんが。
産婦人科病棟の個室ですが、3室か、4室あったかなあ。
夜中に気になるそのお部屋は、
私のいる大部屋の向かい側です。
妊婦さんでも血圧の高い人など、
面会謝絶の人が入ったり、
子宮がんなどで何回も入退院する年配の方がいらっしゃいます。
そこで死人が出た記憶はないのです。
入院した人、ちゃんと、無事に退院してます。
そしてある日、大部屋の妊婦さんが無事に出産して、
個室へ移動されました。
そう、あの気になる部屋です。
お祝いの方がたくさん来られるとかで、
大部屋の私たちに気を使ってのことでしょう。
ちょうどその日は、私が出産で、
部屋の引っ越しをしている人たちよりも、
自分のことで精一杯です。
陣痛やら分娩室やら、忙しかった。
産んだ子供が未熟児で、
ICU送りになったので、私は、
翌日から大部屋に戻っていました。
その翌々朝のこと。
何やら、例の個室から、荷物を移動させて、
新米ママが大部屋に戻ってくる作業をしています。
『出たのよ』
新米のママは、
困った顔で、話し始めました。
夜中に気配がするので、
目を開けたら、
傍らのベビーベッドをのぞき込んでいる看護師さんがいたそうです。
新米ママは、
てっきりいつもの夜中の巡回で、
看護師さんが来たのだと思ったのですが、
様子がおかしい、と。
子供を見守っていた時間は少しありましたが、
看護師さんはすぐに消えたそうです。
「見守ってただけなら、ま、……
チャンネルがあってしまったのねえ」
他の妊婦さんとも話していて、
新米ママさんにも、そう言ってしまって。
冒頭のやり取りでした。
あ~でも、不用意な発言でした。
謝りました。(て私が悪いのかな?と思いつつ)
巡回だけならそうアピールしてよねー
初めての入院生活風景あるある。
当時の産婦人科病棟は、
老朽化はしてましたが、
小ぎれいに掃除していらっしゃいました。
同じフロアに内科病棟があって、
日中は、認知症のおじいさんがふらふらと、
産婦人科まで散歩に来ては、
「ここはお部屋違いますよ~」と看護師さんが、
おじいさんの行先を方向転換したりしていました。
のどかでしょ。
夜は、小児科内科の子供の泣き声が、
点滴などの時間に合わせて聞こえていました。
出産の時刻って、それこそ救急病院だから、
夜討ち朝駆けってやつです。24時間体制。
夜勤の看護師さんは常に二人で見回っていたし、
そんな不夜城のようなにぎやかな病院なのに、
夜中のトイレがねえ。
通り道に、気になる個室がありまして、
誰も使っていないときは、
基本は入り口のドアが開いているのですが、
わざわざ、わたし、
そのドアを閉めて、中を見ないようにして、
トイレに行き来しておりました。
切迫早産の危険があるという話で、
自分の状態を軽く見ていた私は、
いろいろあって、
合計約半年ぐらいは、
24時間点滴や事前の手術などで入院を余儀なくされました。
病院の先生の診断で、
「個室のほうが良いのでは」とのことでしたが、
「大部屋でお願いします」押し切りました。
その時は、私たち貧乏夫婦なので、
費用が安いことばかり気にしていたのですが、
(後で聞けば、私の状況は、
個室でも料金同じということでした。)
昔、その病院は、
戦時中は肺結核や難病の人たちの、
療養所というか、収容所というか、
そんな悲しい施設だった歴史があります。
今はきれいに改築して、
その病棟はいったんつぶされているので、
時効ですよね。
ほら、怖くないでしょ。