夏は恐ろしく熱い奈良盆地の春は、今年は早く来ました。
日当たりの良い場所は桜が満開で、
既にこの日、半袖で歩き回れる快晴の温かさ。
子供の頃は少し怖いスポットがたくさんありましたが、
町がずいぶん様変わりしたのかなあ。
今回は「ならまち」エリアを中心に、4時間くらい歩きます。
JR奈良駅から徒歩10分くらいで近鉄奈良駅へ。
実はちょっと散歩には不便と思われますが、
今回はABホテルさんにのんびり連泊しています。
県庁沿いの大きな通りにあるホテルですら、
立地は良くないかも。
最近、JR奈良駅前には、ドーミーイン「御宿野乃」ができました。
朝の焼き立てパン朝食含めオススメでしたが、
そのうちドーミー試さなきゃ。
あくまでも、
母方の実家がこのあたりだった「元地元っ子」の意見ですが。
歩くのが嫌な人は、観光案内所のロータリーから、
奈良バスがありますので、行きたい方面へのバスにご乗車くださいね。
このピンクの散歩エリアは住宅地ですが、京都と同じで、
普通の街なかに古いお寺があったり、
昔このあたりが沼地や池の多かったと伝える石碑があったりします。
「奈良町」は、ローソンの印の東側と南側に広がっております。
街歩き、よそのおうち拝見(表の雰囲気だけ)
何屋さん?
小ケース的なモノの中には、
芸妓さんが使用する、貝殻製の「口紅」が展開されていました。
伝統的な化粧筆も。
メチャ古いのはわかる。こういう職人さんの家、
子供のころたくさんあった気がする。
浴衣や草履、百貨店ではなく、
このあたりの小さな商店街で買いましたね。
周囲は今、マンションや、洋風の家や、
デイサービスやらで街の雰囲気がずいぶん変わってます。
風致地区にしているのかどうかは、確認していません。
「瓦葺、2階建てまで、看板禁止」条例があるのですが。
黒い壁の塀って、見かけない造り。
平城宮は新大宮のあたりにあったので、
このあたりは電車一駅分遠い土地だったのが古い時代のこと。
主に農地で湿地帯で、農業用の池がたくさんあったらしい。
最後に残ったのが今の猿沢池、荒池といったところでしょうか。
お寺や集会所が多いなあと思う。
この建物は後ろに古いお寺があって、
宿坊か何かに使われていたのかな。
お寺の境内敷地に、建っていますし。。。
「中将姫誕生の碑」って、
近寄ってみても、西暦が3桁しかない時代の話が書いてあるというか、
彫りこまれていました。
昔は公開されていたふしがある。
本堂の他に何があるか、「井戸」とか、「本尊」明細とか。
今は立ち入り禁止になっています。
猿沢池より西南あたりには、
他にも日蓮上人ゆかりのお寺、
の横に宗派問わず「観音堂」「地蔵堂」「何とか如来像」のお堂が
ま~あるわあるわ。
意識して歩いたことがなくて、
観光客の目線から見ると、
こんなに入り組んだ細い道路のすき間を縫うように立っているお寺たち、
あったのか~。
観光施設はいろいろ。
すみません、私は地元民感覚なので、
ここ10年以内にできた町おこしの建物は、
中には入らず外観を楽しむことにしますね。
この建物の周囲は、草むらがたくさんある小高い丘や、
丘の上にまたお寺があったりして、
迷子になりそう。
実家の母に写真を見せたら、「道祖神」周辺の想い出
細い道路の街角の、
小さくて狭い土地にひしめき合うようにして、
道祖神がいらっしゃいました。
80歳近いうちの母が、この写真を見て昔のことを思い出したらしく。
「ここの先を少し行ったところに○○ちゃんの家があってなあ!」
「ほらこの先の何々町のところがなあ!」
いや知らんって(苦笑)
私の知らない昭和30年代の、古き良き幼友達の話。
当時、国立一期と言われていた大学付属の小・中・高校に通っていた、
母の話を聞かされます。
この大学の前身の師範学校に、大正生まれの祖母が通っていました。
このあたりの町は、まだ若き頃の彼女たちが闊歩していた面影が、
少しはあるのでしょうか。
ちょっと天気よくなってきたなあ。
明日は、桜咲きそうかなと思いながら、
猿沢池の手前まで来て、
「もちいどの商店街」からホテルへ、
てくてくと歩いて帰りました。
2日目は猿沢の池より北東方面、